「この青空を、君へ」は次のことを大切に書いています。
・「子育てマニュアル」よりも「自分の体験」を大切にこどもと接する
・こどもの学びにおける「感染動機」を刺激するため親が成長し続ける
・いつか、自分が人生を通じて掴んだ大切なことをこどもに伝える
※感染動機に関しては後述。
実は私は子育て3人目です。
と言っても隠し子が2人いるわけではありません(笑)
7歳と11歳離れた妹がいて、オムツ替えたり、抱っこしたり、一緒に遊んだり、幼稚園のお迎えしたりと手伝いをしてきました。
さらに、父親が単身赴任で、
「母さんと妹達を頼むぞ。男はお前一人なんだから。」
と言われ続け、責任感を感じてたというのもあり、父親代わりの自覚を持って妹達と接していました。
なので、息子が生まれても特にあたふたはなく、妹達にやってきたことを思い出してやってる感覚です。
一方で、世の中の親達が、いわゆる「子育てマニュアル」に依存していると感じる事が多く、違和感がありなんとかできないものかという課題感を個人的に持ってます。
マニュアルは目安になりますが、それが正解じゃないし、マニュアル通りに育つことなどないし、マニュアル通りに育てば幸せか?と問えばそんな事はないのは分かると思いますが、やはり不安なのはわかりますので、そこには寄り添いたい。
宮台真司さんの本の中で、学習には3つの動機があると書かれていて納得しました。
競争動機
理解動機
感染動機
上の2つは分かりやすくて
競争に勝って嬉しいから学ぶ
理解できて嬉しいから学ぶということ。
そして、3つ目が特に重要で、
あんな人になりたい!というスイッチが入ると、身振り手振りまで真似てしまうくらい、その人に同化しようとして学び続ける。所謂「憧れ」と考えればいいかと思います。
感染動機は、競争や理解動機に比べて一過性のものではなく、長く続くものだそうで、感染して学んで、また別の人に感染して学んでいくというスタイルが、学びのモチベーションを保ち続けられるそうです。
自分は誰に感染したか?
と考えた時に、真っ先に思い浮かんだのは父親でした。
私は、父親に憧れてます。今でも。
追いかけて
追いついて
追い越したい存在。
それが、自分の父親です。
マニュアル見て、その通り育てればうまくいくと考えているのではなくて、自分が子どもにとって、感染動機を刺激する憧れの父親であるか?
そこをまず問うてみてはどうかと思っています。
私は、憧れの父が自分に注いでくれたように、息子に愛情注ぎたいし、息子にとって憧れのお父さんであるように自分を磨き続けたい。
誰もが、感染動機を刺激された人っているでしょう。それが、実の父親でなくてもいいと思います。
そうやって自分が感染したように、自分のこどももいつか感染動機を刺激される日が来るはずなので、その感染動機を刺激できる人に自分がなりませんか?