特に1-2歳の間は成長の著しさを感じる。
昨日できなかったことが急にできるようになっていて、1週間も経つとまるで別人のようになる。
自分の無意識の中に「1歳児の能力はこれくらいだろう」「さすがにこれは1歳にはできない」といったものがあったことによく気づく。
たとえば、公園で一緒に遊んでいて、すべり台の階段や登り棒など、「これは登れないだろう」とか「危ないから手を貸そう」としてしまう自分がいた。
そこをぐっとこらえて本当の本当に転ぶ直前まで手を出さないでみると、案外出来てしまう。
そんなとき「こどもの限界を決めてるのは自分だな。こどもの可能性を潰しているのは自分だな」と激しく反省するのである。
自分は先生気質なので、どうしても教えたくなったり、手を差し伸べたくなったりしてしまう。そんな時、河合隼雄先生の『心理療法序説』の一節を思い出す。
心理療法によって、子どもの行動が改善されたとき、「どのような指導をされたのですか」と教師や親から質問されることがよくある。
大人は一般に「指導」するのが好きである。「指導」によって人間が簡単によくなるのなら、自分自身を指導することからはじめるとよい、と思うが、それをせずに、子どもの指導をしたがるのだから、ナンセンスである。P87
教育というときに、動物を訓練し、しつけるというイメージと、植物を育てるというイメージと両方がある。
どちらも大切なのだが、一般に植物イメージで考えることの方は忘れられがちのように思われる。
土壌と太陽の光とがあれば、植物は自分の力で育ってくる。 このときに、人間は植物の芽をひっぱったり、つぼみを無理に開いてみたりしてはならない。
ここで、土壌や太陽に相当するのが、教師あるいは親などの、その周囲に存在する人々の暖かい、待つ心である。
これは迂路のように見えて、結局は一番の近道なのである。 熱心に教育しようとする人によって、芽をつみとられたり、つぼみを台なしにされてしま ったような子どもの例を、われわれは数多く見てきたのである。(P87-88)
こどもの限界を決めつけず、可能性を信じて見守りたいものです。