「よりよく」生きたい。
多くの人はこう願うだろう。 私も例外ではない。
昨日よりも今日、 今日よりも明日。 「よりよく」したい。
ただ、ここ数年「よりよく」を人生の指標にしてしまう事に疑問を持ち始めた。 本当に「よりよく」を目指すべきなのか。
ある程度これをしたら、この結果を得られるという可能性が高い場合、 「よりよく」は、そのまま幸福度の向上と重なる。
ただし、これをしても、こうならないかもしれないという可能性が高い時代において、 「よりよく」を指標にすることは、不安感を高めかねない。
私は外食時代 24時間365日休みも惜しんで働いた。
1日でも早く目標を達成したかった。 1秒でも早く成長したかった。
当時はあと数年で1000店舗 という具体的な目標も掲げられていた。
未来の大きな果実を得るために 今という時間を手段化した。
今我慢すれば、未来に大きな果実を得られると言い聞かせた。
私が今日、歩みを止めたら 世界が一日止まってしまう。
というようなマインドにもなった。
右肩上がりでよりよくなることなどない。 いい日もあれば、悪い日もある。 踊り場でしゃがむ時期もある。
昨日よりよかったか? 先月よりよかったか? 昨年よりよかったか? 今ダメなところはどこだ?
どこを改善すればもっとよくなる? どうすればもっとスピードがあがる?
未来のために 未来のために 未来のために
自分を裁きまくった。 そうやって生きて、10年後 思った未来とはだいぶ違った。
あの頃よりよくなった所もあるが、 力不足だったと嘆きたくなる現実だ。
別の視点で見れば得たものはたくさんある。 その10年決して無駄だったとは思わない。
ただ、幸せな生き方だったか?と問われれば、 素直にはいと答えられない自分がいる。
では、「よりよく」に代わる指標は何か?
過去と比べることもなく 未来に近づいたかを測ることもなく まずは純粋に今日が豊かなものだったか。 ここに焦点を当てたい。
それがまずあってから 過去に比べてどうだったかとか 未来に向けて備えられることは何か を考えてもいいだろう。
ただ、染み付いたマインドを変えるのはなかなか難しい。
自分のために休日を過ごすと罪悪感が残る。 こどもと一日中遊んだだけの1日は、社会に何も価値を出せてないと焦燥感に駆られることもある。
そう感じると、実は 「今日は自分のために生きた」 ということだと言い聞かせている時もある。
ただ、 未来の果実のために 今を手段化しすぎてしまった頃に比べると 体調も崩さなくなった。 充実したなと思い出せる日が増えた。 自律神経が乱れることも明らかに減った。
「よりよく」から「今日の豊かさ」へ もう10年この生き方つづけたなら、 もう少しこの生き方にも慣れているだろうか。