白でも黒でもない、グレイだが、GRAYにせずに一文字変えて、GLAYにしたと。
先日マツコ会議に私の心の親友堂本剛くん (永遠の片想い ) が紫が好きだと言っていた。
その理由は、赤(情熱、血液、太陽)と青(水、冷たさ、寂しさ)とを混ぜ合わせた色が紫。
赤にも青にもいきすぎない真ん中でありたいと。
自分の好きな人達は、中道、中庸の精神を持っているのだと嬉しくなる。
自分の色は何か?
ふと考える。
何かの真ん中の色なのか?
以前、ある人に言われた。
あなたのイメージは透明。
有り難いと思った。
何色にも染まらないなら、色無しだな。
いや、透明だから、何色にもなれる可能性もあるということでもあるな。
空(くう)という言葉がよぎる。
有でも無でもない。
空(くう)
好きな詩がある。
引き寄せて結べば柴の庵にて
解くればもとの野原なりけり
結う(ゆう)
という行為が、庵(有)をつくり、
ほどけばまた柴(無)に戻る。
空(くう)
を説明する素敵な詩だ。
よく名前を「雄大(ゆうだい)」と間違えられる。
どうせ間違えられるならと、この「雄」を「結う」にかえ「結大(ユウダイ)」とした。
透明な存在、
有も無も生み出す「空」のような存在、
仕事も「つなぐ」ことを柱においている。
生命の生まれる場は、カオスの縁と言われる。
完全なオーダー(秩序)の世界にも生命は生まれず。
完全なカオス(混沌)の世界からも生命は生まれない。
オーダーとカオスの縁にこそ、生命は生まれるという。
オーダーでもカオスでもないその曖昧な境界に立つ人。
多摩大学大学院の寺島実郎学長は、境界に立つ人を「マージナルマン」と呼んだ。
話がいろんなところに飛んだ。
結論は、私を色で例えるなら「透明」だ。
何色でもないから、何色にもなれる。
色と色とをつなぐことで、なにかを生む。
両極を和解する。
尖った色のない、そんな生き方はイヤだと思った時期があったし今もそう思う事があるが、
やっぱり私にとっては、空であることが使命なのかもしれないと妙に納得する。
■引き寄せて結べは柴の庵にて
解くればもとの野原なりけり
について
日本人のための宗教原論 P248
■カオスの縁について
■マージナルマンについて