子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

なぜ、同じ言葉でも伝わる人と伝わらない人がいるのか

僕は、僕に見えている「青空」を伝えたいと思っている。

簡単な言葉ほど伝えるのは難しい。

「青空」という誰もがわかる言葉でも、その青さや、太陽や雲はあるのか、といったことを伝えていかないと相手には伝わない。

もっと言えば、どんなに言葉を駆使しても100%同じ「青空」を言葉で伝えるには限界がある。

ただ、言葉しか想いを伝える手段がない。だから、その限界を知りつつも言葉を紡ぐ。

同じ言葉でも、軽いと感じる人、心に染みる人がいるのは誰でも経験しているだろう。それは、その人の経験に裏打ちされた言葉かどうかかが違いなのだと思う。よくこのようにも言われる。

何を語るかより、だれが語るか。

多義的な言葉も、その人の経験に裏打ちされ、言霊となった時、一意の言葉になり、それは、

「あの人の言葉」「あの人なりの言葉」

と言われるようになる。

だから、私は息子に、私の言葉を伝えたい。
私の見えている「青空」をこどもに伝えたい。

このことは、高校くらいから思っていたことだが、その想いを言ってくれてる!と思った本に出会ったので、今日はこの本を紹介します。

「言葉にできるは武器になる」

以下引用---

「伝わる言葉 」を生み出すためには 、自分の意見を育てるプロセスこそが重要であり 、その役割をも言葉が担っているのである。

 

言葉が意見を伝える道具ならば 、まず 、意見を育てる必要があるのではないか ? 「伝わる言葉 」を生み出すためには 、自分の意見を育てるプロセスこそが重要であり 、その役割をも言葉が担っているのである。

 

発言や文章といった 「外に向かう言葉 」を磨いていくためには 、自分の考えを広げたり奥行きを持たせるための 「内なる言葉 」の存在を意識することが絶対不可欠である。

 

「思考の深化なくして 、言葉だけを成長させることはできない 」