子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

人生は自力だけで切り拓けるか

「日本人として」というテーマでもう一つ。

寺島実郎氏の「世界を知る力-日本創世編」で親鸞の自力と他力について書かれている。

少し長いが引用してみる。

「他力本願」というと、一般には、「あなたまかせ」「他人まかせ」という意味で使われることが多い。
 
自助努力しない怠け者といった軽侮のニュアンスが含まれたりもする。実は、わたしも、若いころは、そういった理解からそう遠くないところにいた。
 
いわゆる西洋近代的な思考法の影響を強く受けてきた戦後世代の人間のため、何事も主体的に自力で実現していかなくてはならない、と考えていたからだ。
 
しかし、親鸞の教え、生き方をよく知るにしたがい、他力本願という考え方には、そんな安直な解釈を許さない深い意味が込められていることを知った。
Kindle No729)

 

自力の使用を努めてみるまでは、自力がたすけにならないということはわかりません。これをやってみて、われわれは自力がまったく無効であることを自覚するのです。
 
他力こそ至要です。しかし、これが至要なることは、自力でその不可能なことをやろうと努力した人々のみが知るのです。
Kindle No752)

 

自力は他力に促され、他力は自力を待って働きを見せる。危機のときこそ、他力と自力は共鳴しあい、わたしたち衆生に、蘇生するための光明と力を与えてくれるのではないだろうか。
Kindle No763)

私も自分の力で未来を切り拓くというメンタリティでいたし、自分の能力を上げることに心血を注いできた。

ただ、そうやって自己投資すればするほど、学ぶべき事は多く、自分よりもはるか高みにいる人達に愕然とした気持ちになる。

一方で、様々な局面で、後から振り返ると不思議だとか、このために巡り合ったのかと思わずにはいられないご縁を感じることがある。

そして、今があると思ってる。

道を切り拓くというのは、何も自力だけに頼るものではなく、自力を尽くして、尽くして、尽くしたその先に他力の訪れを待つという事なのではないかと40歳を過ぎて実感を込めて思う。

息子にも自分の人生を自らの力で切り拓いて欲しいと願う。ただ、自分の力でだけでなく、自分を取り巻くその他の力を味方につけて、自分の人生を切り拓いて欲しいと願う。