先日カルロ・ロヴェッリの「時間は存在しない」を読んで感銘を受けた。
息子と接してると、こどもは単に「今」を一生懸命生きていて、「時間の流れ」など気にしてないと実感する。
著書によると時間は「存在する」ものではなく、「起こる」ものと書かれている。
他者との関係性、相互作用があったときに、時間は起こると。
例えばこういうことなんだろうと思った。
太陽と地球の関係性で1年、1日といった時間が起こる。
太陽と地球と人間の関係性の中で、人間は生きるために適応しようと進化して、今の生き方が定まっている。
もし太陽がなかったら?
もし昼夜がなかったら?
いま感じるような時間感覚で生きていないかもしれない。
毎朝、保育園に送りに行く時に、息子と時間で格闘する。
朝ごはん食べて、お着替えしたら、家を出る時間まではYouTubeを見ていいことにしている。
また、登園までに余裕がある時は、少し遠回りをして、踏切まで行き、電車を眺めてから保育園に行く。
YouTubeも見たい、踏切で電車も見たい。どっちもしたい息子。
どっちもしたければ、理想のタイムスケジュールはこう。
〜7:30 息子の支度完了
7:30-8:00 息子はYouTube、私は支度
8:00-8:10 移動
8:10-8:25 踏切で電車をみる
8:25-8:30 移動・登園
2歳になった頃、どっちかをえらぶということができるようになってきた息子に、8:00になってもYouTubeを見る事をやめないから、聞いた。
「YouTube見るか、カンカンカン(踏切)行くかどっちがいい?」と。
「YouTube」と答える息子。
「そしたら、カンカンカンは行かないよ」と言うと、「わかったぁ」と答える息子。
時間いっぱいまでYouTubeを見て、登園しようと連れ出すと、「カンカンカン行くー!」と笑顔で言う息子(^_^;)
いやいや、YouTube見るって言ったじゃん、カンカンカン行かないって言ったのあなただから。と言って取りあわず、登園すると「カンカンカン行く!」とギャン泣きする。
息子にとっては、
さっきは「今は、カンカンカン行かない」と言っただけで、「今は、カンカン行く」という気持ちに変わっただけなので、そこに時間は入ってない。
時間を理解できてないのに、いまYouTubeを見るか、踏切を見るかの選択をさせたのはかわいそうだったと反省。
妻と相談して、アナログ時計を買った。
2歳5カ月になった最近はこうだ。
これが5(8:05)になったら、YouTube終わりね。そうじゃないと遮断機(踏切のこと)行けないよ。どうする?と。
踏切行きたい時は、スパッとYouTubeをやめる日が増えてきた。それでもYouTube見ることもある。その場合は、4(8:20)になったら保育園行くよと伝えて、8:20に家を出る。
YouTube見ると当然踏切には行かない。最初は道すがら「今日踏切行く?」と聞いてきて、「行かないよ4までYouTubeみてたじゃん。時間なくなっちゃったよ」というと泣いてたが、最近はそんなこともなくなってきた。
「時間なくなっちゃった?」と聞いてくるからかわいいものだ。今日は行けないんだと理解してきた様子。
そして、登園すると先生に「湘南新宿ライン、時間なくなっちゃったのぉ」と報告している(笑)
先生も最初は「???」だったが、事情を説明して、最近は話に乗ってくれる。
時間は存在しない。他者との関係性や相互作用によって「起こるもの」ということが、子育てを通じて実感する。
曜日の理解についても書きたかったが、長くなったのと時間がなくなっちゃったので②として次回に書くことにします。