子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

「一つ目国」の悲劇-田坂広志『風の便り』より‐

※2020/08/07

昨日は久しぶりに出社。

暑い。

本格的に夏が来た。

そして、マスクがしんどい。

周りを見渡せばしていない人を探す方が大変だ。

コロナが流行り始めの頃から言われている通り、自分が感染することの予防にはマスクはあまり意味がなく、飛散させないために有効ということなら、別に黙ってるんだからよくない?

と、ちょっとバカらしくなってきてしまった。

それでも、突然くしゃみして、自分が無自覚感染者で飛沫感染源になるのも申し訳ないので、ハンカチを手元に用意してマスクを取った。

電車の中は、まるでこの寓話の「一つ目国」に自分が迷い込んだような気持ちになった。

周りの人を非難する気持ちは無い。 が、マスクをつける理由が、「一つ目国の悲劇」的なものであるならば、ちゃんと考えて行動したい。

そして、君へ
君が一つ目国に迷い込んだら、どう振る舞う?

決して、思考停止して行動しちゃだめだ。 ちゃんと自分の頭で考えて、行動するんだよ。

この青空を、君へ

風の便り 第43便 「一つ目国」の悲劇
 
ある旅人が、旅の途中で道を見失い、
不思議な国に迷い込んでしまいました。
 
その国は、一つ目人間の国だったのです。
 
その国の住人は、誰もが、目が一つしかない人々であり、
旅人のように目が二つある人間は、
一人もいなかったのです。
 
その国に迷い込んだ当初、
旅人は、変わった風貌の住人を見て驚き、
そして、しばらくは、
彼らを不思議に思って眺めていました。
 
しかし、その国で過ごすうちに、
旅人は、だんだん孤独になってきました。
 
自分だけが二つの目を持つことが
異常なことのように思われてきたのです。
 
そして、その孤独のあまり、
ついに、その旅人は、
自ら、片方の目をつぶし、一つ目になったのです。
 
この旅人の悲劇は、決して、
遠い彼方の国の物語ではありません。
 
なぜなら、
我々も、しばしば、
この旅人のように、
自ら、片方の目をつぶそうと考えてしまうからです。
 
自分自身であることの孤独。
 
そのことに、耐えられず、
自分自身であることを
やめようと考えてしまうのです。
 
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