子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

「真剣」になっても、「深刻」になってはいけない


2015年、突然脳がシャットダウンした。

頭の中に4つ画面があり、それを眺めている自分がいる。

1番左は過去の画面。反省をしている。

残りの3つは未来の画面。

今日これからどうするとか、
抱えている仕事のシミュレーションとかがされている。

4つ同時に動かしながら、手がそれに合わせて作業をしている。

事業立ち上げもこれから加速だ!という時に、画面4つじゃ足りないなと思って、5画面目を起動させようとした。

そこで負荷がかかりすぎたか、4つの画面が全部落ちた。

紹介された病院で、自律神経が乱れていて、その原因は低血糖と言われた。

そこから食事と運動の指導が始まった。

「真剣になっても、深刻になってはいけない」

とは、父の言葉。

学生時代にサークルのイベント運営で私が一人で抱えてしまって失敗したときに、父に相談した時に言われたのが始まり。

まぁ、それでも性分として、グッと入り込んでしまうので、真剣だったつもりが、深刻になってたと反省する事は多い。

外食店長の時も、本部で企画を推進した時も、2015年も、そして、昨年肺炎での入院も、グッとアクセルを限界まで踏んでしまった時に体を壊した。

一方で、限界までやってみないと、自分の限界どこだというのもわからないじゃんという自分もいる。

そして、その限界値も年々下がってきている。
その代わりに別の力が備わってきている感覚もある。

「真剣になっても、深刻になってはいけない」

その「真剣」という言葉の捉え方も見つめ直す必要がある。

アクセルを踏む時が「真剣」と思っていたと思う。
でも真剣にブレーキを踏むということもある。

「仕事」にこそ真剣に命をかけるべきという価値観だった。

2-30代は、24時間365日死ぬほど働いたし、自分が1日休むと世界が1日後退すると本気で思ってた。休むと心がゾワゾワして休んだ気にならなかった。

家族ができて、息子が生まれて、そんな生活は二度とできない。

仕事だけに真剣ではいられない。
仕事だけが真剣な自分を表現する場ではない。

40代になり、このことに気づき始めた時に、違う世界が見え始めている。