子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

移動時間がきらい

僕は、目的地に行くまでの
「移動時間」がどうも苦手だ。

 本を読んでいればいいとか
 映画を見ていればいいとか

移動時間中の過ごし方をいろいろアドバイスもらい、確かにそうなんだけどちょっと違う。

以前、西野亮廣エンタメ研究所の投稿で*1「不便益」を設計せよという内容があった。

まさにこれなのだ。

 > 不便益

車や電車や飛行機は確かに移動を楽にし、効率化し、世界を狭めた。

ただ、移動しながら、道すがら、そこで出会えた人、触れられたものなどの「体験」はすっ飛ばされることになる。

移動は短くして、目的地で移動に使ってた時間分それやればいいじゃん。

という事を言われそうだが、ここはもう感覚の問題なので、そういう事じゃないとしか言えない。

読書も、映画も、移動中にしかできない事じゃない。

移動中にしかできないことで時間を使いたいというのが本音。

つまり、わがままなのだと思う(^_^;)

目的地だけでなく、移動中にも物語がほしい。

移動中のハプニングと言えば、渋滞か、人身事故か、機体の揺れでドキドキするかくらいのものだ。

そうではなく、移動中の出会いとか、地図やガイドブックでは知り得なかった場所とかそういったものとの出会い含めて目的地に行きたい。

そして、学習においてもこの「効率化」というものに違和感がある。

学習をテクノロジーを使って「効率化」する。

いい面ももちろんある。

が、

学習において、

 「最小の努力で最大の結果」

を目指すのはいいことなのか。効率化によって失われるものはないか。

学習においては、

 「最大の努力で、やっと掴める何か」

が大切ではないかと思う。

ph.nowandhere.jp

もしかすると、子育ても。

マニュアル見て、最小の努力で最大の効果を出したい気持ちはある。

でも、こどもは人それぞれ成長スピードも能力も違う。統計的データも参考になるが、やはり親の悪戦苦闘に価値がある。

だから、君へ。

世の中、テクノロジーが進んでいろいろなものが効率化される。

便利になることはいい事だが、それによって失われるものにも目を向ける必要があるよ。

不便を楽しめ!