これは、本当にそう思う。
世界中の人が一堂に会したとする。人々が囲んでいるテーブルには、小さくて深さのあるガラス容器が2つ。
一方の容器にはいっぱいの花と少しの水が入っている。もう一方は、水だけで満たされている。
そうすると、一部の人は目の前にあるものを、花瓶と、水の入ったグラスだと言い、別の人はどちらもグラスだと言う。両方花瓶だと言う人もいるかもしれない。あるいは、花をとり去れば花瓶はグラスになるし、その逆もあり得る、という意見が出るかもしれない。
一体何が、花瓶とグラスの違いなのか? 素材だろうか? 大きさだろうか? それとも、今現在の用途だろうか? そして、答えは誰が決めるのだろう?
つまり、たとえ同じ物理的現実の中で、同じ物理的物体を見ていることに異論はなくても、その解釈は人それぞれということだ。
しかし、そのことにどれだけの人が気づいているだろう。