子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

これは白だ!と言う時に潜む否定性-ヘーゲル『精神現象学』と田坂広志『風の便り』より-

100分de名著にて、ヘーゲル精神現象学を観てから、訳書を読みたいと思い購入
ちょっとずつ読み進めていて、やっと上巻の半分くらい(^_^;)

やっと「自己意識」の章に到達した。

感覚的直感→知覚→悟性→自己意識
と意識の成長過程を見ていっているわけだが、息子の成長過程と照らして見るとなるほどと思う事が多くて面白い。

実は、子育てしている親が読むといいのかもしれないとも思う。

人間が言葉を発するとその瞬間にその言葉には、否定も含まれていると。

これは白だ!という時、黒ではないという否定が含まれている。

簡単な例で示したが、実際にはこの否定が隠れてしまって見えない事がある。

ふと田坂広志先生のこの風の便りを思い出した

「言葉」がもたらすもの
 

昔、幼稚園を訪問したとき、
そこで耳にした、無邪気な会話を思い出します。
 
先生が、園児の一人、オサム君を誉めました。
 
 オサム君は、本当に、良い子ね。
 
そのとき、嬉しそうなオサム君の横にいた
ノリコちゃんが、悲しそうに、聞きました。
 
 じゃあ、ノリコは、悪い子なの。
 
この無邪気な会話を思い出すとき、
「言葉」というものの本質に、そして、その怖さに 気がつきます。
 
 「世界の分節化」
 
「言葉」は、それを語った瞬間に、
本来一つであった世界に「境界」を持ち込み、
その世界を二つに「分節化」してしまうのです。
 
そして、我々の心は、いつも、
その「境界」において、
葛藤を生み出し、苦しみを味わうのです。
 
 では、なぜ、我々に「言葉」が与えられたのか。
 
そのことを考えるとき、我々は、
人間の心の成長の
不思議なプロセスに気づくのかもしれません。

hiroshitasaka.jp

「オサムくんは良い子ね」と褒める時
「じゃあ、ノリコは悪い子なの?」と悲しそうに聞くノリコちゃん。

言葉によって規定、区別、分節するということは、それ自体に否定を含む。

私はこういう人間だ!

と自己認識した時、気をつけなければならないと思う。

知らず知らずに「私はこういう人間ではない!」と深層心理に埋め込まれてしまう。

それは、自己限定につながり、自分の可能性に制限をかけてしまう恐れがある。

先日性格新聞という心理テストのようなゲームをやった。かなり当たっていて面白い。

一方で表れていない自分も当然ある。
参考にするにせよ、自己限定してしまわないように気をつけねばと思う。

白と黒の間に無限の色が広がっている
(突然のミスチル)

白だって黒だってほんとうは、ただ一つの白も黒もない。
「白か黒で答えろ」というのは難題だ
(またもミスチル)

便宜上規定しているだけだ。

そのことを理解しつつ、他者とのコミュニケーションを円滑にする為に規定、区別、分節していると思った方がいい。

僕たちには、言葉では規定できないほどの無限性が潜んでいる。
(ヘーゲルのキーワード無限性)

僕たちは、自分の中に秘められた無限の可能性を手放すわけにはいかない。


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