子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

縛るのも言葉、解放するのも言葉

千葉雅也さんが自分と同じ1978年生まれと知り、急に親近感湧いていくつか本を買ってしまった。

まず「勉強の哲学」という本を読んだが、とても面白い。

難しい内容を、身近な言葉で、レベルを落とさず説明されているのがすごい。

際限なき勉強を有限化せよという。
深く勉強することは、「ノリを悪くする」ことだという。

今いる環境には、いわゆる「ノリ」があり、なんとなくそう振る舞う事が正解というお作法的なものがある。それを「ノリ」と呼んでいる。
わかりやすい。

環境ごとに「ノリ」があり、その「ノリ」に合わせる事を求められて生きている。つまり、僕たちは共同体としてのルールに従って生きている。

勉強は、その環境に疑問を感じるところからスタートする。

ただ、人間はどこまで行っても環境依存的なので、今の環境から別の環境へ乗り換えるだけで、完全に自由になることはない。

環境から自由になることはないが、その中で一定の距離をとる手立てが必要ということになり、それを可能にするのが「言語」だと。

言語は、現実を言い表すことに使うが、その意味は環境依存的だと。つまり、使われる場所で意味に揺れがある。

同じ理由で、意味をいつでも壊す事のできる可能性が拓かれているということでもある。

このことは、僕が息子の卒園の時に、息子に送った言葉の可能性についてと重なる。

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僕たちは自分の生きる環境(言葉)に縛られて生きている一方で、言葉を使って自らを解放することもできる。

ここ数年、色々な言葉を方法的に疑ってきた。

成長、成功、理念、使命、意味、価値など。

資本主義社会の中で、そのルールの中で、大きな成果を得るために、自分の命を使って、未来の果実のために、今、ここを犠牲にしていなかっただろうか?

こららの言葉たちは、自分を奮い立たせる言葉として、強い人間へのエールとして感得されるけど、それによって失敗、挫折し心が折れた人達を励ます言葉はあるのか?

自分を奮い立たせるために、縛ってきた言葉達を見直して、自分を解放していく言葉を紡ぎ直したい。

それがこどもが生まれてからの6年間であったように思う。

未来なんかなくて、今を一生懸命に生きる子を見て、
お金の価値とか時間の価値とかなんてなくて、ただ純粋に今自分が嬉しい楽しいと思うことが1番大切だと感じて行動している子を見て、

資本主義社会が要請する「価値」に「意味」を見出し、その「価値」を体現することが「成功」と定め、目的を同じくするために「理念」を掲げ、君は何のために命を使うのか?と「使命」を定義させ、終わりなき「成長」を求めようとする資本主義社会の側面を疑う。

もちろん、資本主義社会の恩恵もある。
だから、資本主義社会が全面的に悪いとは思わない。

この資本主義社会の恩恵を享受しつつも、そのルールに踊らされ過ぎずに、自身の自由を最大限に生きる人生を送りたい。

そのために磨くべきはやはり言葉。
自分を無意識に縛っている言葉を見つめ、解放の手立てを打ち続けて生きたい。

結局環境からは完全に逃れられないのだから。その環境の中での可能性を最大限にする勉強をし続けたい。

その可能性は、仮に有限であっても、自分の人生の時間だけでは達成できないなら、それはもう「無限の可能性」と呼んじゃっていいんじゃない?って思う。

そして、君へ

今いる環境の言葉に君自身は縛られているかもしれない。
そのことに気づきにくいから、その環境で強く生きようと、
その環境で使われている言葉の意味を正当化したり、
君を奮い立たせるために強化する方向へ向かわせるかもしれない。

その時は、立ち止まって、他の可能性を探る言葉を紡いでほしい。

パパが君の卒園の時に送ったこの言葉を思い出してほしい。

パパが見た青空をそのまま受け継ぐことはできない。
そのことはネガティブなことを決して意味しない。
そこには、君の解釈を新たに加える余地、可能性があることも意味する。

自らを奮い立たせる言葉から、可能性を拓く為の言葉へ。

この青空を、君へ

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