この青空を、君へ

ベンチャーで働く父が、悪戦苦闘の育児から紡ぐ、生きる哲学

自己実現から自己承認へ、そして、自己越境へ

早く、何者かになりたいと思っていた20代

24時間365日働くことで、数か月で店長になり、数年で本部の課長職についた。
仕事を通して自己実現したい。
世の中に貢献したい。

そう強く思っていた。

「会社の成長スピードと自分の成長スピードが合わなくなったら会社を辞めます。」
なんて、生意気な事も口にした。

存在対効果。

これが、僕の20代のキーワードだった。

30歳で会社を辞めて、大学院で学んだ。
そこで出会った恩師は、講演を開けば数百名を集めることができる方だ。
その恩師が、大学院で十数人の受講生に対して「真剣勝負!」と言っていた。

一人でも多くの人に貢献する。より多くの人に貢献する。
もっと、もっとと思っていた私の価値観はここで崩された。

目の前の、たった一人の現実を変えられなくて、何が“より多く”か。
目の前のたった一人の現実を変え、それが多くの人に再現性を持って広がっていく。
それが、ビジネスモデルの本質かと思った。

精神の限界と自己承認への転回

33歳でベンチャー企業の立ち上げに参画した。
立ち上げ時期なので、死ぬほど働いた。
そして、心身はいよいよ限界を超え、精神的な病を患ってしまう。

24時間365日働くことが、もうできなくなった。
自分の市場価値が極端に落ちていくのではないかという恐怖に駆られた。

精神的な病は、一生付き合っていくもの。
アクセルを踏みすぎると、また顔を出してくる。

 闘病ではなく、応病

上手に付き合いながら働く必要が出てきた。

そんな中で、有り難いご縁に恵まれ、結婚。
そして、子どもを授かった。

いよいよ、独身時代のような働き方はできなくなった。
独身時代ならできていたことが、時間的制約でできなくなる。
また、市場価値が縮減したのではないかという不安に陥る。

ただ、家族の時間が増えるにつれて、独身時代のような無理な生活を強制的に辞めることになり、
健康はむしろ回復した。

新たなスタイルで仕事にあたれる感覚になった40代。
この働き方、生き方を認めている自分がいた。

  • 精神的な病を前提とする
  • 家族・子育ての時間を前提とする

その中で出せる最大の成果とは何か?
その問いが、生まれた。

キーワードは、自己承認だった。

仕事による自己実現を手放し、
今のこの状況を承認し、その中でできることを模索する。

そして、自己越境へ

50代手前の今。
数年前から家庭菜園をはじめ、自然と対峙する時間が増えたことで気づいたことがある。

自分と他者――それは人だけではなく、物事・自然との間にも、明確な線が引けない感覚。

自分の人生は、自分で切り拓くという意志がありつつも、
その道や選択肢があるのは、他者のおかげであるという感覚。

自己実現自己承認といった、矢印が自分の内側にしか向いていない感じに、
どこか違和感を覚えるようになった。

そんなとき、ふと思いついたキーワードがあった。

自己越境という感覚

  • 自己と他者の境界線が曖昧になる感覚。
  • 自己は固有であり、唯一無二の存在であるという感覚がありながら、それが直ちに世界の中心的存在であることを意味しない感覚。
  • 自分の中に“唯一の本当の自分”などなく、すべてが本当の自分であり、その中に他者性を感じる感覚。

今を、常に乗り越えていくという感覚。
自己を超え出て、他者と関わり、
そしてまた、自己に戻ってくるという往還の運動

それが「生きる」ということではないか。

この一連の感覚を、私はひとまず「自己越境」と名付けておきたい。