この青空を、君へ

ベンチャーで働く父が、悪戦苦闘の育児から紡ぐ、生きる哲学

『禅的マネジメント』を再読して――「あとは、よろしく」と言って去るために

小森谷浩志さんの『禅的マネジメント』を再読した。

東洋思想である「十牛図」と、西洋のマネジメント論、心理学、成人発達理論を織り交ぜながら、禅的マネジメントとは何かが論じられていく。

両極の統合、矛盾を矛盾のまま受け入れる強さ、今を乗り越えて包む姿勢――
これからの社会を生きていくうえで、大切になる態度を教えてくれる本だ。

毎回再読のたびに新たな示唆をいただくが、今回は「おわりに」の一節が、なぜか強く響いた。

「浩志、みんなに、よろしく言ってくれ」

お父様の最期の言葉である。

この言葉を読んだとき、呪術廻戦・渋谷事変編で、ななみんが虎杖にかけた最期の言葉を思い出した。

「後は 頼みます」

ななみんはこの言葉をかける前に、一瞬、躊躇した。
この言葉が、虎杖にとって呪いにならないかと――。

それでもなお、先に逝った仲間の幻に背中を押されて、虎杖に「託す」ことを選んだ。

鬼滅の刃「柱稽古編」でも、炭次郎は富岡義勇に問いかける。

「義勇さんは、錆兎から託されたものを、繋いでいかないのですか」


これまでは、いのちが終わるときに言いたい言葉として、

「幸せな人生だった。もし、もう一度生まれ変わっても同じ人生をやり直したい」

というニーチェ永劫回帰の問いに答えるようなものを想定していた。

でも今は、こう思う。

「あとは、よろしく」

仮に一人で逝くとしても、この言葉が、残された人たちを縛る呪いになるとしても、
それでも、こう言って世の中を去りたい。


失敗も挫折も喪失も困難も悲哀も――
そんなものが一切ない人生は、きっと存在しない。

そして、それらを乗り越えることでしか、本当の幸福感にはたどり着けない気がする。

この人生には、唯一絶対の正解も正義も真理もなさそうで、
多分、意味も価値も使命もない。

それでも、意味や価値や使命を見出したいと願うのが、人間なのだと思う。

「本当の自分」は、外側にも内側にもなくて、
ぜんぶ本当で、みたくない、蓋をしたい「影」も含めて自分なんだと思う。


結局のところ、
自分が納得した人生しか、生きられない。

であれば、問いを変える必要がある。

  • ぼくは、先人たちから何を託されたのか?
  • ぼくは、次世代に何を託したいのか?

小さくても、これを託していこう――
そう思えるものを持っていたなら。

あとは、よろしく!

そう言って、この世を去れるかもしれない。