ICTベンチャーで働く父が、農業と哲学で実践する子育て

デジタルな仕事とアナログな生活の融合|この青空を、君へ

挫折したままではいられない自分:自律神経を壊して気づいた「心を燃やす(外的点火)」と「灯火を護る(内なる火種)」の違い

「心を燃やせ」が痛みだった日

2015年、自律神経を壊した。
それまでのように、がむしゃらに働くことができなくなった。

「心を燃やせ」と自分を鼓舞する言葉は、その時の私にはむしろ痛みだった。
できるのは、ただ心の灯火を消さないようにすることだけ。

そんなとき、師と仰ぐ田坂広志先生から贈られた言葉がある。

「挫折したままではいられない自分に気づく」

失敗、困難、喪失。人生においてそれらは避けられない。
その渦中にいるとき、すべてを前向きに受け止めることは難しい。

それでも、不思議なことが起きる。
同志の言葉や行動に、反応してしまう自分がいる。

立ち上がれなくても、走れなくても、それでも何かに触れてしまう自分。

恩師の言葉は、
「頑張れ」ではなかった。
「すでに、あなたの中には終われない何かがある」という事実の指摘だった。

「内なる火種」と「外的点火」の違い

その、わずかな灯火の火種は何なのか。
おそらく、やる気やモチベーション、壁を乗り越える力には二つの種類がある。

  • 内なる火種
  • 外的点火(外付けのブースター)

評価、承認、役割、経済的成功、理念や教義。
これらは心を燃やす「外的点火」として、確かに重要だ。

しかし、それらに寄りかかりすぎると、外部が崩れた瞬間、同時に自分も崩れてしまう。

多くの人は、
「火を持っていない」のではない。
「火がどこから来ているかを見ていない」だけなのだと思う。

示す者なきときは、すなわち目前なれども見えず。
説く者なきときは、すなわち心中なれども知らず。(空海

火は、もともと内にある。しかし、他者無しには自覚されない。

ニーチェ真木悠介に学ぶ「意味」からの解放

ニーチェは言った。

「意味が見つからないから良き生が送れないのではなく、逆に、良き生を送れていないから意味にすがろうとするのだ」

「意味」や「理念」は、心を燃やす外的点火にはなりうる。だが、それは火種そのものではない。
外からの点火にしか目を向けていないと、内側で、静かに燃え続けているものの存在に気づけない。

社会学者・真木悠介見田宗介)の『気流の鳴る音』には、この一節がある。

ドン・ファンが知者の生活を「あふれんばかりに充実している」というとき、それは生活に「意味がある」からではない。
生活が意味へと疎外されていないからだ。
つまり生活が、外的な「意味」による支えを必要としないだけの、内的な密度をもっているからだ。

内なる火種とは、意味を燃料にして生きる力ではない。
意味を必要としなくなるほど、生そのものが燃えている状態のことなのだ。

そして、君へ

だからこそ、大切にしたい。

他者の評価がなくても、
役割を失っても、
成功から遠ざかっても、

それでも燃え続けてしまう、心にある灯火、内なる火種を。

それを無理に「燃やそう」としなくていい。
ただ、消えないように「護る」だけでいいんだ。


【補遺】「意味」への疎外からの解放

この記事で触れた「内なる火種」とは、真木悠介が語った「意味への疎外からの解放」と同義だ。

私たちはつい、人生に「意味」や「目的」を求め、その達成のために「今」を手段化してしまう。しかし、未来のために今を犠牲にする生き方は、挫折した瞬間に足場を失う。

そうではなく、外的な「意味(評価や成功)」による支えを必要としないほど、「生きることそれ自体の強度」を高めること。
それが、どのような困難の中でも消えることのない「内なる火種」を守る唯一の方法なのだと思う。

無理に燃やし続けるのではなく、護り続けることの尊さを忘れないでいたい。

[参考文献]