心理学者のアドラーが、「全ての悩みは対人関係の悩みである」と言ったが、もう少し解像度を上げた方がいい気がしている。
高校生の頃から生きづらさ、生き苦しさを抱えてきた。 何とか解決できないだろうかとたくさん本を読んだし、実践もしてきた。
そうすると、おおよそ3つの問題にぶつかる気がしている。
「生きづらさ」を構成する3つの要素
社会、他者、自分の問題。 これらから、生きづらさや、生き苦しさを感じる自分に気づく。
- 過ちを許さない社会。
- 分かり合えない他者。
- 見つけられない自分。
つまり、これらは以下の3点に集約される。
- 社会という「構造」の問題
- 他者という「関係」の問題
- 自分という「内面」の問題
これらをどう乗り越えるのか? そこに僕の中心的な課題がある。
問い直すべき3つの領域
社会(構造)
- 資本主義社会のルールに縛られていないか
- 民主主義は所与の権利なのか
- 癒しを与えるはずの宗教が争いの種になるのはなぜか
他者(関係)
- 分かり合えないことを前提に、相互承認できないか
自分(内面)
- 本当の自分などいるのか?
- 成長し続ける必要はあるのか?
- エゴや欲望とどう付きあえばいいのか。
「解消」ではなく「不断の努力」を
結局、これらの問題群はきれいに「解消」できなさそうな気がしている。
矛盾を抱えたまま、和解の余地をさぐりながら、自他の人生を尊重して、より善く生きる。 この手立てが一番現実的なんじゃないかなと思う。
楽しく生きるために、 不断の努力 をする。
だって日本国憲法第12条にも書いてあるでしょ?
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
って。
今日はちょっと遅すぎるよね、、、と思いながら、ジャガイモを植えた😅

【補遺】矛盾を抱えて生きるという「知性」
この記事で触れた「問題は解消できない」という諦念は、決してネガティブなものではない。むしろ、解消できない矛盾を引き受けながら進むことこそが、知性ある大人の態度(マナー)なのだと思う。
LUTENの行動指針(Value)にある「方法的懐疑主義」もまた、絶対的な真理(完全な解決)を安易に信じず、思考し続ける姿勢を指している。
思考 - 方法的懐疑主義 絶対的な真理はない。すべてを仮固定とし、再構築のための「方法」として疑い、思考の純度を高める。
社会や他者との「分かり合えなさ」に絶望するのではなく、「和解の余地」を探り続けること。それが憲法の言う「不断の努力」であり、私たちが目指すべき「より善く生きる」道なのだろう。
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