昨日は、恩師田坂先生の講演に久しぶりに参加した。
久しぶりにお目にかかれて嬉しかった。
この講演の内容は、田坂広志アカデメイアの登録者に後日無料配信されるとのこと。
「田坂広志アカデメイア」は、2025年1月に開設されたオンライン学習プラットフォームで、田坂広志先生の著作、講演、対談、テレビ出演など、多岐にわたるコンテンツを誰でも自由に学べる場を提供している。
ちょうど読み終えた宇野常寛氏の「庭の話」とも重なり、
私の中ではかなり問題意識が深まり改めて参加してよかったと思っている。
所感は、400~1200字程度とのことだったので、本当はもっといろいろなキーワードがあったけど、
一旦下記の通りまとめてお送りした。
所感
私も教育業界に身を置いています。
資本主義の恩恵を享受しつつ、その課題を乗り越え、
一度きりの人生を豊かに生きるにはどうしたらよいのか。
ここ数年の問いです。
そのため、
「社会制度の議論はあるが、そこを生きる人々に求められる在り方についての議論がなされていない」
「我々が賢くならなければ、賢い人材は育たない」
という先生の言葉に強く共感しました。
先日読み終えた宇野常寛氏の『庭の話』と、
先生のお話にシンクロする部分が多く、非常に考えさせられました。
宇野氏は、デイヴィッド・グッドハートの『Anywhere/Somewhereな人』を引用し、
現代社会の「評価」と「承認」の問題を提起しています。
Anywhereな(グローバルにどこでも生きていける)人は、
現代社会システムに十分適応できているが、
Somewhereな(特定の場所でしか生きられない)人は、
市場経済から「評価」を得ること、
共同体からの「承認」を求めることに翻弄されているという指摘です。
問題は、Somewhereな人が世界の大半を占めているという点です。
市場の「評価」や共同体の「承認」から距離を取り、
個人が個人のまま、世界との関わりを「実感」できる場が必要だと言います。
そして、宇野氏はこうした状況に対する対抗策として、
「庭」 という概念を提案します。
一方で、仮に「庭」を用意できたとしても、
そこに生きる人間の在り方が変わらなければ、
それは機能しないとも言っており、
今日の先生のお話と深く重なります。
Somewhereな人にとっては「庭」のような空間がなければ、
評価と承認のゲームに晒され続け、その環境から抜け出せず苦しむことになる。
これは、私の問題意識とも強く結びつきます。
私はSomewhereな人で、また、ロスジェネ世代です。
比較的恵まれた環境にいますが、同世代には苦しむ人が多くいます。
教育業界にいる以上、
「未来の子どもたちに何を残せるか」という問いは当然ありますが、
「同世代の仲間たちをどう支えられるか」
という問題も重要なテーマです。
その一つの形として、
宇野氏が提唱する「庭」のような共助経済の仕組みを
つくれないかと考えています。
「我々が賢くならなければ、賢い未来の世代は育たない」
という先生の言葉は、この問題とも深くつながります。
教員や保育士による不祥事、いじめ、児童虐待のニュースが後を絶ちません。
これは、今を生きる大人世代が『評価と承認のゲーム』から抜け出せずにいることが遠因だと感じています。
2年前から家庭菜園を始めました。
これはまさに、宇野氏が提唱する「庭」の可能性を感じる取り組みの一つです。
- 前職の外食産業
- 現職の教育
- 趣味としての農業
これらをつなげて、
個人の幸福を追求できるような共助経済の仕組みを模索したいと考えています。
昨日のお話を伺い、この問題意識がより深まりました。
有り難うございました。