子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

相手と和解の余地を残す

信念対立を乗り越えて、互いに豊かな人生を生きるにはどうすればいいのか?を考える

僕は、「論破」という言葉が嫌いだ。

最近流行っているが、徹底的に相手を反論できなくなるまでコテンパンにやっつけてしまうのは、新たな対立を生むだけだと思う。

パフォーマンスやゲームとしてなら良いが、実生活の中で論破は、避けた方がいい。

正論も時には暴力になる。

正解しか許されない世の中は息苦しい。

人事の仕事をしていると、社員から相談を受ける事があるが、

ほとんどの場合、正論や法を出せば社員の主張を簡単に退ける事ができる。

主張のほとんどは、視点が自分なので、経営の立場からすれば視野が狭いということも多い。

では、その主張に対して論破してしまうのか?

そうはしない。

まずは、相手がなぜそのような主張をするに至ったのかを理解するために対話する。

一旦内容を受け入れる。
その上で、よりよい解決方法はないのかということを考える。

この作業は、正直しんどい。
こちらの心がやられることもある。

論破して、主張を退けた方が楽だ。

でも、どうしてそれをしないのか。

僕の人生のテーマが、信念対立を乗り越えて、互いに豊かな人生を歩むことだからに尽きる。

決して論破せず、
相手に和解の余地を残す。

和解の余地を残せば、議論が継続できる。

互いの主張の妥協点はどこか。
主張の違いはあれど、こういう条件下であれば、この選択肢をとる事が、妥当だよねといえるポイントが必ずある。

もし、それが見出せないなら、そもそも社会は回らないはずだ。

主張の違いがあっても、
前提を整理していけば、妥当だと言える結論は導けると信じている。

和解の余地を残す。

正論や法を拠り所にするのは大切だが、
よりよい解を得るために、正論や法を越えることも時には必要だ。