子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

「意味」が見つからないから良き生が送れないのではなく、 逆に、良き生を送れていないから「意味」にすがろうとするのだ

2019年この本を読んで、人生の「意味」の他に人生の「強度」という事を考えるようになった。

ボクら世代は、人生の「意味」を見出す事を良しとする教育を受けてきたのではないかと思う。そして、僕はその「意味」を仕事に求める生き方をしてきたと思う。

結婚して息子が生まれて、独身の頃のように24時間365日仕事をするという生活はできなくなった。そのことで、自分の存在価値が縮減してしまうのではないかという感覚に襲われる時もあった。

その迷いの中、この本と出会った。そして、仕事を通じて人生の「意味」を見出すという生き方を相対化した。影響を受けた箇所を引用してみる。

意味とは、物語
強度とは、体感

物語は、過去から未来につながる時間の展開が重要
体感は、「今、ここ」が重要
 

ニーチェによると

「意味が見つからないから良き生が送れないのではなく、 逆に、良き生を送れていないから意味にすがろうとするのだ」

と言う。
 
人類はながらく、「意味(物語)」ではなく、「強度(体感)」を生きてきた。 古い社会には例外なくお祭りがあるのはその事に関係する。
 
近代社会は、人々に「意味」を追求させることで、社会が必要とする振る舞いを調達してきた。 勤勉さ、成功すること、国や社会のために生きることには意味がある。
 
「美しき少年の理由なき自殺」P128より抜粋

息子と日々過ごしていると、人生は「意味」だけでできていない事を実感する。20代の頃は、この人生に「意味」があるのか?と考えたこともある。

ただ、「意味」がないとしても、「強度」という側面をもつ出来事は確かにあり、そこに人生の充実感を覚えることもある。「意味」と「強度」のどちらも人生には必要なのだと思う。

息子はただ、ただ、一生懸命、毎日を生きている。

彼にはもちろん「意味」なんてない。
彼には「強度(体感)」しかない。

機嫌が良ければゲラゲラ笑うし、
機嫌が悪ければ泣く。

時間の感覚も曜日の感覚もないので、未来に計画を立てる事もない。

ただ、ただ今を生きている。

こどもは「強度」を生きていると思い知らされる。

私は明らかに「意味」だけを生きてきた。だからこそ辛かった。 いや、今もその習慣が抜けきれてないから、ときどき辛い。

でも、暗闇のどん底に行く前に、必ず「強度」を与えてくれる人と出会えた。 だから、なんとか生きていられているのだと思う。
そして、今はその「強度」を与えてくれる大切な家族が身近にいる。

世の中はデタラメで、意味は無いかもしれない。
でも、そこそこに楽しい。