前回、「解消」ではなく「和解」ということを書いた。
その「和解」の一つと思っている 田坂広志先生から学んだ言葉。
病とは、福音なり
「病」について一言 ⇒ 病とは、福音なり。 すなわち、病とは、単なる「不幸な出来事」ではない。それは、人間が、自身の在り方を深く見直し、生活を変え、体質を改善し、意識を高めていく、「良き機会」となる。
— 田坂広志 (@hiroshitasaka) 2014年1月10日
この言葉を聞いた時、真っ先に浮かんだ
「闘病」
これは、心の置き場が「解消」の方向にある。
だから、病もこう言いながら暴れだすのだろう。
「認めてくれよ!」
結果、病に飲み込まれて命を落とすこともある。
もし、心の置き場を「和解」の方向に据えたならどんな言葉になるだろうと考えた。
これは造語だが、病に応じることになるのだから
「応病」
とでも言うのか。
病を受け入れて、応じていくならば、「和解」の方向に行ける。
とはいえ、発病した時は心中穏やかではない。
田坂広志先生は、不治の病と言われるほどの大病から戻ってこられた。
わたしはそれほどの大病ではなかったが、2015年に自律神経を乱し、2019年は肺炎で入院した。
発病したときは、
「なんで、俺が」
とか、
「なんで、このタイミングで」
と、心は乱れた。
だが、この言葉を思い出し、
「なぜ、今なのか」
「この病は何を教えてくれるのか。」
「なぜ、この病なのか。」
と言ったことを反芻しながら、過ごした。
どちらの病もまだ完全に治ったとは言えない。特に自律神経の方は、油断するとぶり返す。
そういう意味では「不治の病」かもしれない。
一生付き合うと覚悟して、むしろ、自分が無理している事を教えてくれる存在だくらいに思っている。
この一線超えると命が危ないと教えてくれる存在。
だから、有り難いのかもしれない。