子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

「闘病」ではなく「応病」-病とは、福音なり 田坂広志-

前回、「解消」ではなく「和解」ということを書いた。

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その「和解」の一つと思っている 田坂広志先生から学んだ言葉。

病とは、福音なり

この言葉を聞いた時、真っ先に浮かんだ

「闘病」

これは、心の置き場が「解消」の方向にある。
だから、病もこう言いながら暴れだすのだろう。

「認めてくれよ!」

結果、病に飲み込まれて命を落とすこともある。

もし、心の置き場を「和解」の方向に据えたならどんな言葉になるだろうと考えた。

これは造語だが、病に応じることになるのだから

「応病」

とでも言うのか。

病を受け入れて、応じていくならば、「和解」の方向に行ける。

とはいえ、発病した時は心中穏やかではない。
田坂広志先生は、不治の病と言われるほどの大病から戻ってこられた。

わたしはそれほどの大病ではなかったが、2015年に自律神経を乱し、2019年は肺炎で入院した。

発病したときは、

「なんで、俺が」

とか、

「なんで、このタイミングで」

と、心は乱れた。

だが、この言葉を思い出し、

「なぜ、今なのか」

「この病は何を教えてくれるのか。」

「なぜ、この病なのか。」

と言ったことを反芻しながら、過ごした。

どちらの病もまだ完全に治ったとは言えない。特に自律神経の方は、油断するとぶり返す。

そういう意味では「不治の病」かもしれない。
一生付き合うと覚悟して、むしろ、自分が無理している事を教えてくれる存在だくらいに思っている。

この一線超えると命が危ないと教えてくれる存在。

だから、有り難いのかもしれない。