子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

私たちである〈 私〉であり、〈 私〉である私たち

今月の100de名著は、ヘーゲルの『精神現象学

指南役の斎藤幸平さんがヘーゲルの言う「精神」の定義をわかりやすく解説してくれている。

絶対的な実体である精神とはすなわち、「 私たち である〈 私〉であり、〈 私〉である 私たち」なのです。
 
ヘーゲルがいう「精神」とは何なのでしょうか。原語のGeistはドイツ語に独特の言葉です。mindのように個々人の「心」を指す言葉ではないし、宗教的な「精霊」のspiritとも違います。
 
精神は、自然界における物理的現象や動物的活動と区別された、人間に特有の社会的行為の総称といってもいいでしょう。
 
「私」の美や善をめぐる理解は、「私たち」(精神)によって規定されているのです。
 
精神は個々の「私」の判断や行為に深く関わり、社会制度や文学作品、あるいは世間の風潮という形で具体的に現れています。
 
「私」であることは「私たち」であることと切り離せないと考えたからです。これこそ、ヘーゲル哲学の画期的な視点です。
 

これを受けて伊集院光が、「精神」は現代でいうところの「空気」に似ていると言っていて、伊集院光ってやっぱりすごいなぁと思った。

確かに「空気」によって私たちの行動が規定されることもあるし、その時代の「空気」が音楽や文学などに反映される。

そして、その「空気」の規定を受けながらも反省して、新しい「空気」を作るための行動をとることが人間はできるとヘーゲルは言っていて、その行為の連続の中に精神の成長がある。

田坂広志先生の言う、「人類は未だ前史の時代」という言葉がしっくりきます。

私たちはまだまだ成長過程にいるのでしょう。