子育て×哲学×社会学「この青空を、君へ」

父から息子へつなぎたい思想

「行動しない」という行動

昨日に続き、内田樹さんの「寝ながら学べる構造主義」より

人間の個別性をかたちづくるのは、
 その人が

 「何ものであるか」ではなく、
 「何ごとをなすか」によって決定される、

 マルクスはそう考えました。

 「何ものであるか」というのは、
 「存在する」ことに軸足を置いた
 人間の見方であり、

 「何ごとをなすか」というのは
 「行動すること」に軸足を置いた
 人間の見方である、

 というふうに言い換えることが
 できるかも知れません。

僕ら世代は、この「何ごとをなすか」に価値があるという価値観を埋め込まれた世代ではないかと思う。

僕自身、とにかく「行動すること」に価値を置いた。

 休むと、世界が1日止まる

と本気で思ってて、休むと罪悪感すらあった。

 結果、短期間で店長になったり、
 30歳で課長になったり、

 転職して、大学院行って、
 ベンチャーの取締役にまでなった。

ところが、2015年に自律神経失調症になり
今までのように、

24時間365日死ぬまで働けなくなった。

1日の労働時間を制限し、
週末は仕事をしないで休まざるを得なくなる。

自分の存在価値が毀損されていく感覚。

そして、結婚し、子どもが生まれ、
自分の時間はさらに制限されていく。

独身の頃のように行動したくても行動できない。

ベンチャーにいるのに
死ぬほど働けないことへの違和感

行動が価値!と思っていた人間からすると、
この葛藤は凄かった。

ただ、自分のその価値観も
世の中から埋め込まれたものかもしれない

そう思った時に、
少し楽になった気がした。

以前も話した、
人生の「強度」と「意味」を想った。

ph.nowandhere.jp

そして、君へ。

いまは「行動しない」ということもまた行動なのだ。

こういうのを「再帰性」というらしい。

行動はアクセルだけが行動じゃない。
ブレーキもまた行動。

その「行動しない」という行動を突き詰めると
「存在する」自分の価値が見え始めるものだよ